快楽
こんな夢を見た。
夢でオーガズムを得るために奔走するのだが、
それが叶えられず、
失意と虚しさのうちに諦め、芝生の上で強風に身を投げ出したところ、
突然究極の快楽が肉体と精神を襲った。
この事象にはポイントが2つある。
○快楽を得ることを諦めた時点で、
諦観によってか意識は自我の外に開放されており、
(もういいや、ってなってた)
自分の体のすぐ傍から自分を眺めるような感覚で漂っていた。
○そして肉体は、空高く舞い上がるわけではなく、
強風の中、文字通り地面すれすれの空気中を漂っていた。
この状態を言葉で表すならば、
たゆたう【揺蕩う・猶予う】
という言葉が適当だと感じた。
これは、
「水などに浮いているものがあちらこちらとさだめなくゆれ動く。
ひと所にとまらないでゆらゆらと動く。
ただよう。」
さまをいう。
このとき、
肉体の究極的な快楽ではなく、
肉体的な快楽、皮膚感覚を伴った、精神の究極的な快楽を味わった。
それに驚いて目が覚め、
今しかこの感覚を言葉にはできないと感じ、
こんな早朝からキーボードを叩いている。
心にも体にも究極的な快楽を、突如夢の中で味わったのだ。
この瞬間、
作為による究極の快楽が運動によって得られるオーガズムならば、
無作為による究極の快楽は、
肉体も精神もすべてを何かに委ねてありのままでいること、
ただただそこに存在すること、
だと理解した。
これらが同時に発現したとき、
人は究極の快楽を味わえるのだと確信した。
究極の快楽とは、
完全な無作為のうちにオーガズムを得ることなのだ。
目が覚めているときにこれを得る方法は2つ。
○瞑想によって脳をオーガズムの状態に導くこと。
外的刺激なしに、脳をあたかも体に刺激があったかのような状態にし、
脳のみでいく。
○完全に受身になって、自分でいく努力を一切せずに、
他の事を全く意識することなく、
与えられる快楽にのみ没頭してオーガズムを得ること
であろう。
後者は、
しばしば女性が日常の性生活において得ていることかもしれないと思う。
それを感じ、味わうのはおそらく男性には難しいことで、
自分の人生においてはまだ経験がない。
羨ましいことだ。
いつかそのような快楽をリアルに得たい、と思う。