罪を憎んで人を憎まず | Stairway To Stardom

罪を憎んで人を憎まず

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犯した罪は罪として憎むべきものだが、その罪を犯した人までも憎んではならない

 [ 広辞苑 ]


何かの機会に電子辞書で引いた言葉。

世界のどの地域、何時の時代の人にも当てはまると思う。


人が罪を犯す原因は、
その時点での環境であったり、

それまでの教育であったり、

生い立ちの中での家庭環境の問題であったり、

或いは遺伝的な欠陥でもあるだろう。


犯罪者を隔離して再教育する現在のシステムは、

大した更生の成果を上げられていないだろうと思う。


似たような環境、状況下にあっても、

していいことと悪いことのボーダーラインを越える人と越えない人がいる。

それは詰まりは、個人の資質の問題なのだろう。


重大犯罪・凶悪犯罪者には、

遺伝子レベルでの共通点が見られるという研究結果が出ていた。

CTスキャンによっても、犯罪者の脳の萎縮具合が、

使用歴がないにも拘らず麻薬中毒者と同じレベルであった

という写真も見たことがある。

社会にとって、また犯罪者自身にとって必要なのは、

隔離でも教育でもなく、

根本的にその人物を更生させるための科学的な治療なのだと思う。


また、そういった個人の病気というレベルではなく、

人の作った体制の限界という、マクロな病気とも言える状態がある。


大抵、諸問題から戦争状態に雪崩れ込んでいく背景には、

社会に攻撃的で、危険な雰囲気や思想が孕まれている。

高度に政治的な判断や駆け引きがなく、

私欲のみによる一方的な侵略では話にならないが、

戦争というのはそこに至らせてしまった当時の人々すべてに

責任があるのだと思う。


国家間でのフォローがない、きちんとした批判をすることができない、

利権欲しさに追従する、武力の行使を抑止するだけの機関がない、

意識も足りない、

そういうことをする政治家を選んだ国民、

必要十分で中立公正な情報を流さないマスコミ等々。


第二次世界大戦前の国際情勢、情報伝達技術には

今では考えられないほどの不自由があり、

特に先進国の人々の意識レベル、認識の範囲などは

今とは比較できない程に差があるだろう。


人類が西暦2000年を迎えて初めて経験する、

この高度情報化社会は、そこに生きる我々は特別なのだ。

過去と同列に比することなどはできない


そういうわけで、いつまでも過去の記憶に生きることは得策ではない。

個人の成長、種としての成熟と、社会の発展を阻害するだけだ。


目をつぶり、耳を塞いで生きていくとしたら、

全ての脳への刺激は、過去の記憶の反芻によってしか起こらない。

そこにある刺激と情報の組み合わせには限界があるから、

劇的な成長は臨むべくもなく、迎えるのは飽和に向かう緩やかな死だけだろう。


個人レベルでは、脳に刺激を与えることは、

五感を使うことによってしかできない

良く聴き観察し触れて匂って味わうことだけだ。

人は、それによってしか経験値を上げていくことはできないのだ。


過去から学べることは少ない。

未来につながる現在には無限の可能性がある。

常に新しい情報、刺激を取り入れて、

進歩・発展していくべきだと思う。

人も、社会も。


[ 記事 ]

抗日戦争:被害体験を募集 中国・人民日報
 1日付の中国共産党機関紙、人民日報は、抗日戦争の被害者や親族らに対し、被害体験を記した手記を寄せるよう求める募集広告を1面で掲載した。
 それによると、同紙は近く、抗日戦争勝利60周年を記念して「忘れがたい往事」と題した特別欄を設け、手記の掲載を始める。同紙は「われわれは当時の歴史を骨に刻む責任がある」とした上で「事件を具体的かつ正確に」記すよう求めている。特別欄は9月まで続けるという。
 中国メディアは最近の日中関係の悪化を受け、歴史問題と絡めて現在の日本政府を批判するキャンペーンを展開している。(北京・共同)
毎日新聞 2005年6月1日 19時23分


(まぁ、詰まりはこんなことやってるから、

 いつまで経っても遅れた国なんだよ、ってことだな。脳ミソも技術も。)